仏教を守護する役目を持つ神将像で、如来・菩薩・明王とは区別され、その多くは仏教成立以前の古代インドの神々が前身と考えられている。これら諸神は梵天や帝釈天などヒンドゥー教の最高神や吉祥天や弁財天など、温和な貴人の姿で表される貴顕天部と、甲冑に身を固め武器を執った四天王や毘沙門天、仁王そして執金剛神などに見られる忿怒の姿を持った武人天部に分けられる。また八部衆、十二神将、二十八部衆、深沙大将、大黒天などは、如来や菩薩の本誓を守護し教えの実現に働く尊として眷属と呼ばれて・・・・
神秘的な力を持つ言葉や呪文(真言)を意味するサンスクリット語、ヴィドヤーラージャの訳が『明』で、この真言の力を身につけている「持明者」達の王を「明王」と呼ぶ。如来の教えに従わない救いがたい衆生に対し、如来の命を受け力づくで教えに導こうとする役割を持つ。その為恐ろしい外貌と激しい忿怒の相をして、煩悩を焼き尽くす火炎を光背に用い、多面や多眼、多臂多足などを以って・・・・
「悟りを求めるもの」を意味するサンスクリット語、「菩提薩捶(ぼだいさった)」を略した言葉で仏陀となることを目標に、修行に励み仏の慈悲行を実践し、衆生を救おうとする姿を指す。菩薩の修行は仏事の本質を見抜くの6つで、施しを与え、戒律を守り、何事にも耐え、努力し、真理を見極め、智慧を磨くの六波羅蜜とされ・・・・
「如」は真理・ありのまま、「来」は文字通り「来る」の意で、最高の境地に達し最高の位にある釈迦の異名。「真実から来た者」を指すサンスクリット語の和訳が「如来」で、仏教界で「修行完成者」「完全な人格者」を意味する。また「悟りを開いた人」と言う「ブッダ」が中国に渡り、その音から「仏陀」と漢字に写され、やがて「仏(ぶつ・ほとけ)」に転化したと言う「ほとけ」と同じ意味に・・・・
仏教(特に密教)において聖域や仏の悟りの境地、世界観などを仏像やシンボル、文字などを用いて視覚的且つ象徴的に表わしたもので、曼陀羅と表記することもあるが、サンスクリット語मण्डलの音を漢字で表記したもので、漢字自体には意味はない。古代インドを起源として中央アジアから中国、朝鮮半島を経て日本へと伝わったとされ・・・・