戸井や恵山、南茅部などが平成の市町村合併で市制に組み込まれ、広大な面積を有するようになったが、所謂「函館」とイメージする街並は函館山から一望する範囲であろう。陸繋島として結ばれた函館山の山裾から、「巴」を思わせる形で北海道に繋がる砂州に開かれた街が、市制とは違う「函館」である。
北前船による国内の交易、日本最初の国際貿易港として安政6年(1859年)の開港、そして北洋漁業の基地。そうした繁栄の時代の変遷を映して、山裾の弁天から十字街、大門や松風町さらには本町の街並が佇む・・・・
「・・・・友の恋歌 矢車の花」の青柳町の先にある函館市電の停留所谷地頭(やちがしら)を中心とし、啄木一族の墓を経て立待岬への登り口にあたる。函館八幡宮、市営谷地頭温泉などの在る界隈は、昔日の賑わいを幽かに窺える面影を残し・・・・
末広町や鳳来町そして銀座等、函館の旧中心街の名残を僅かに留め、函館駅方面から来る市電が谷地頭と弁天に分れる地で、ベイエリアや元町散策への出発点ともなって・・・・
十字街から旧西浜岩壁に至る金森倉庫辺りを中心に、再利用された和洋折衷の古い建物が散在し、ベイエリアなどと今様の呼ばれ方が相応しい風景を見せ、函館観光のビックスポットとして・・・・
函館山の麓に位置する元町辺りは、函館奉行所が置かれ江戸時代の行政中心地であった和の風情と、ペリー来航に伴う日米和親条約によって開港都市とされた洋の雰囲気を混然とさせ、生活の有る歴史の醸し出す独特の風景を・・・・
函館山を正面に望んだ市電が右手に折れ、ベイエリアと元町辺りを抜け、厳島神社に相対した終点で、函館ドックで繁栄した名残を見せている。高龍寺や外人墓地を経て穴間への道が、海峡を身近に山裾を辿って・・・・