陸繋島として砂州で結ばれた函館山からは、名前の付いたものだけでも20を下らない坂道が市内へと続いている。臥牛山とも称される函館山を仰ぎながら、或いは函館山を背に港を見下ろし登り下りするとき、函館は何気ない佇まいにも旅情の高まりを見せてくれる。基坂(もといざか)、日和坂(ひよりざか)、八幡坂(はちまんざか)、大三坂(だいさんざか)、 二十間坂(にじゅっけんざか)、南部坂(なんぶざか)、チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)・・・・
谷地頭に続く道があったことから、古くよりこの名前が付いていた坂で、大火後の区画整理でも大きな改修が行われなかった。古い面影を残した坂は傾斜も緩やかで・・・・
坂を登ったところに函館山へのロープウェイ発着所が在る坂で、その昔は北方警備に派遣された南部藩の陣屋があったと言う。当時蝦夷地は幕府の直轄地であった為、幕府に縁の深い南部藩がその任を担っていたところからの命名。昭和四十年代半ばまで坂の登り口に北海道の老舗百貨店「丸井今井」があったので、「丸井さんの坂」としても親しまれて・・・・
明治初期の大火後に防火帯として、幾つかの坂を合わせて作られたと言う、その名の通り道幅が約36メートル(二十間)の坂。函館にはこのような「防火線」としての道路や坂が多く、結果として街並や景観を活かすものとなっている。東本願寺の大きな瓦屋根から続く函館山の坂道は、洋食の老舗「五島軒」や赤レンガ倉庫群などを経て、道幅を狭めながら函館駅や朝市まで・・・・
ハリストス正教会と聖ヨハネ教会の間にあり、おじいさんのように背中を丸めなければ登れない急な坂なので、おじいさんを指すアイヌ語「チャチャ」から命名された。ハリストス正教会など三つの教会を通して函館の西部地区を見下ろせる穴場的ビュースポットで、石畳も綺麗に整備され・・・・
過って近くの基坂にある函館奉行所などに、公用で訪れた人々の宿を営んでいた大三印義兵衛の名から、何時の間にか大三坂と呼ばれるようになったと言われ、それ以前もやはり住んでいた人の名を採って「木下の坂」と呼ばれていた。カトリック教会やハリストス正教会、亀井勝一郎旧邸も近くに在り、函館山の山裾を巡る元町観光の中心とも・・・・
登りきった突き当りの函館西高校を背にする石畳の坂道は、幾度となくTVCMや映画に登場した坂道。おそらく函館の坂道では最も有名で、最も人気のある函館山麓の観光スポットで、石畳の坂道の続く先に市電が横切り、港には繋留された連絡船が浮かぶ。現在は谷地頭の方に鎮座する函館八幡宮が在ったことから「八幡の坂」と呼ばれていたが、函館大火の区画整備で現在の姿に・・・・
日和坂から北海道最古の神社、船魂神社へ続く短い坂で、函館山に発生する上昇気流を求めて集まる「鳶」が良く見られたところからの命名とされ・・・・
北海道で一番古いとされる「船魂神社」が坂の上から函館港を見守る坂道で、大火後の市街地整備の為に姿を消した「日和山」からの呼び名と言われる。「日和」と言う空模様に因んだ命名は、空模様に関わる「鳶」を見ることが出来るところから、坂の上のほうを「トビ坂」と呼んだ名残からもあるようで・・・・
「もとい坂」と読み坂の下には明治時代に造られた里程標の木柱が立っており、区画整備や道路の「基石」が置かれたのが坂名の由来となっている。石畳で整備された坂の上には亀田番所や函館奉行所、旧北海道庁函館支庁など当時の行政機関集中の名残を見ることが出来る。復元された「旧公会堂」は函館山山麓の観光スポットとなって・・・・
東坂の先の短い坂で、名前の由来は不明。途中までは舗装されているが、その先は朽ちた階段が函館山の山裾を登るように・・・・